先日、クローゼットを開けてギョッとした。
あれ、こんなに持ってたっけ? 一澤帆布。
全部で7つ。いつの間に、こんなに集めたんだろう。
自分で買ったものもあるし、日本からのお土産にいただいたものもある。
バッグには、「京都市東山知恩院前上ル 一澤帆布製」と書かれた赤い枠のタグがついているから、人から「これどこの?」「どこで買えるの?」とお問い合わせが来ても、即座に答えられる。
色といい、形といい、幼稚園バッグのようなこのタグといい、全部ひっくるめて愛らしくて、私はもう何十年も(何歳?)このバッグのファンである。
最初に見たのは、ならじょ(奈良女子大学)に通うお友達を訪ねたとき。
アイビーな彼女が持つものはなんでもお洒落で見習いたいものばかりだったから、いつか真似ようと思っていた(当時の私は「non-no」と「an an」をチープに折衷)。
「京都のお店にしか売っていないんだよ」と言う彼女。
ただし、通販でも買えるというので、早速カタログを取り寄せてみた。
それがざらばん紙にガリ版刷りのヘタウマ風の手書きカタログで、色見本として3センチ角に切られた布がバラッと入っている。
「か…かわいい…」
狙ってんのか?と思うほど、ほのぼのとしたアナログ感。もうそれだけで私のハートはズキューンだ。
色見本を胸に、知恩院前上ルへの憧れは一段と増していった。
しかし、やがて、OLになってバブルになって、エルメスとかグッチとかセリーヌとか言って騒いでいるうちに月日は流れる。
あるとき、道玄坂のシャルル・ジョルダンのブティックで牛の斑点模様のバッグを発見。
見入っていると、お店の男性が「こちらはハラコでございます」と丁寧にご説明くださる。
ハ・ラ・コ?
「はい。生まれる寸前で母牛のお腹を裂いて取り出した、赤ちゃん牛の革でございます。ですので、すごく柔らかいんですよ~」。
ええーっ。
なんと残酷な。そんなことまでして得た柔らか革なんて要るもんか。
逃げるように店を出た私は、すっかり「革バッグ怖い」「ブランドバッグ怖い」に。
布だ。バッグは布に限る・・・。
とはいえ、念願の一澤帆布を手にしたのは、アメリカに来る直前。
「いかにもJAPANなバッグを持ってたら目立つぜ」という下心もあって、たんすの中で消息を絶ったカタログを再び取り寄せ、大きめこげ茶のトートバッグを注文した。
届いたバッグは思った以上に素敵だった。
なにせ、布のくせにパリッとしている。たくさん入れても重たく感じない。
こういうのを職人技と言うのだ。
学校にもスーパーにもどこでも持って行き、何でも入れた。毎日使った。
だが、全体が汚れてきただけでなく、持ち手の部分がささくれてきたので、使用を中止。
いくら大好きでも、たまには休ませてあげなくてはならない。
それに、もう1つくらい買っておかないと。なんでも予備があると安心なものだ。
そして、一時帰国したとき、京都の店へ行く機会を得た。
ああ、ついに憧れの知恩院前に上ルのだ。
上京して初めて原宿の竹下通りを歩いたときと同じ気分だった。
謙虚に掲げられた「一澤帆布」の看板は、あのタグと同じ文字。
それほど広くない店内には、ヘタウマの絵じゃない本物のバッグが色とりどりに並んでいる。
もう目がチラチラ。店員さんの手を取り、「ずっと好きでした…」と告白したいくらいだった。
トイレにも入ってみた。1時間くらい、ウロウロしていたかもしれない。
迷いに迷った末、赤い小さなバッグとマチのついていない茶色のトートバッグを買った。
以来、私にとってバッグと言えば一澤帆布になってしまった。
京都に行くたび、店に向かった。寺より仏よりバッグだった。
京都を訪ねた友人からもいただいたし、いつも一澤帆布を持っている私を見て、「このバッグ、私も持っていますが、お好きなようなので差し上げます」と贈呈してくださった方もいた。
アメリカにおける一澤帆布の第一人者は私に違いないと、ウハウハだった。
明治から3代続いた同店が、相続トラブルで営業停止となったのは残念だ。
伝統を守るというのは、きっとものすごく難しいことなのだろう。
もうもったいなくて使えないんだよな。
だから、しまい込んでいたんだ。
「京都のエルメス」と呼ばれ、ネットでは幻のバッグとして高く売られているようだけど、私にとってはプライスレスだ。
いっそ、あのガリ版のカタログと布の色見本も、取っておけば良かった。